【三国志】2分で分かる字(あざな)とは?三国志時代の名前についての疑問解消

2分で分かる字(あざな)とは

字(あざな)って何?と思った事はありませんか?

字に関してしっかりと説明したいと思います

字について詳しくなってより三国志を好きになっちゃいましょう!

目次

前提

性(せい)

名(な)

字(あざな)

この時の中国には3つの名前が存在します

現代人であれば性・名(+ミドルネームがある方)のほぼ2つの構成で氏名は付けられますがこの時代には字というもう一つの名がある場合がある

字(あざな)とは

字(あざな)概要

中国においてかつて姓・名以外につけた名前となります

男子は20歳

女子は15歳

年齢によって字を持つ事が許されていた訳です

字は自分で付けることも可能だが人に付けて貰う事もあり実は全国民が字を持っていた訳ではありません。簡単にまとめると地位が低い者は字を持っていない人が多数だった

名(諱)について


先ほどの前提条件でも記載したこの三国時代にも太郎などの名前があります

しかし、この時代で名を呼ぶことは諱(いみな)と呼ばれ、無礼・失礼な呼び方に当たると言われている

字(あざな)の誕生

字(あざな)誕生に関して


そこで諱(いみな)を避けてどう呼べばいいのか?と

誕生したのが字(あざな)という訳です

・同期の武将同士(対等の存在)

・目上の相手(敬意を称する、敬う方)

このような場合に使われていました

字(あざな)例紹介

有名な武将・文官達の字(あざな)の一例を紹介

ふりがな
玄徳りゅうびげんとく
孟徳そうそうもうとく
雲長かんううんちょう
諸葛孔明しょかつりょうこうめい
司馬仲達しばいちゅうたつ
文遠ちょうりょうぶんえん
伯符そんさくはくふ
太史子義たいしじしぎ
奉孝かくかほうこう
てんい(字無し)
あざな一例


上表を見ると聞きなれた武将の名前が姓・名と分かれている事にお気づきになりましたか?

例えば『関羽』は名前(ファーストネーム)のみでなく姓と名二つが付いています

孔明さんは諸葛が姓・亮が名と皆最初は諸葛亮が苗字とか名前だと思っちゃいますよね

後は有名な話として魏の武将『典韋』にまつわる話で彼は字が不明・無しと言われている(悪来「あくらい」と曹操から呼ばれているがこれは字では無く筋力が人並み外れているという誉め言葉

三国志時代の正しい名前の呼び方

三国志時代の正しい名前の呼び方


関羽 雲長を例にすると正しい呼び方は下記の通りです


・関羽
 (姓・名)主に親か主君しか呼ばれない無礼な呼び方
  戦の最中などにも関羽覚悟!!など相手を見下した際にもこれに該当


・雲長
 (字)対等以上の関係時に使う呼び方。敬意を称する場合もこれ


・関 雲長
 (姓・字)自己紹介時などに使う


姓・名・字と続けて呼ぶ事はNG。現代で言うと「山田太郎+あだ名」みたいな呼び方になっておかしいですよね?


補足でもう一つ官職のある方の呼び方は

・関 前将軍(かん ぜんしょうぐん)
 (姓 官職名)と呼ばれます

まとめ

字(あざな)まとめ

・字(あざな)は諱(いみな)を避けて呼ぶ為に生まれた

・三国志の時代には性・名・字と三つの名がある

・性、名、字の三つを続けて呼ぶ事はNG

・字(あざな)は男子は20歳、女子は15歳から持つことが許された

以上を把握していれば字についての理解は得られるはずです

三国志は戦いの場面を読んでいても面白いですが、こういった中国の文化も知れるとより楽しくなりますよね

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